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白いかさぶた

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 能登ノト
 極東列島イホンの旧人類が、血縁を表す名前――姓に用いていた、無数の地名のひとつ。
 太古の列島北部に存在した、半島の小国。
 南国の天草マキサには縁遠い、雪の降り積もる土地。

 子供の名前は、臍帯網に含まれる心象――『胎児の夢』からつけられる。
 極東列島の神父は、地下の聖堂で新芽から『胎児の夢』を読み、漢字一字に表して札に記す。臍帯網の繋がる上階で、羊水槽に宿った胎児は、聖堂の新芽に現れた『胎児の夢』のどれかを体内に持ち、産まれる。
 人間の抱える『胎児の夢』は、粘膜より表出し、幼齢であるほど強い出力で現れる。
 出生後、神父は嬰児の舌に触れ、彼の抱える『胎児の夢』がどの新芽のものであるかを確かめる。神父は嬰児の名として、新芽の札に記した漢字一字を与え、旧時代の極東列島人の名前に似せるために、もう一字を与える。それが私達の人名となる。

 初等部から中等部に上がった頃、私は、命名のしきたりについて蓮見先生に尋ねたことがあった。
 なぜ、我々の名前は『胎児の夢』の一字ではなく、もう一字を使って旧人類の名前に似せるのか。自分やみんなの『胎児の夢』は、名前の二文字のうちの、どちらなのか。韓字はんじを使う極東半島コリの国々、英字を使うエメルカ大陸やイェロプ地方の国々では、名付けをどうしているのか。
 彼は少し悩んだ後、まだ十歳であった私にも分かるように、丁寧に言葉を選んで説明してくれた。

――赤ちゃんの頃に見ていた夢は、能登ちゃんくらい大きくなった頃には、みんなほとんど忘れてしまう。少し寂しいけれど、大人になって思い出すと頭がこんがらがっちゃうから、忘れているほうがいいんだ。
 それで、名前の漢字が二文字あったら、どっちが夢の文字なのか分からないでしょう。大人になって、自分の名前を見直しても、なかなか思い出せないようにしてあるんだよ。
 それでも、赤ちゃんの頃の夢は、その人にとって大切なものだから、全部さよならすることはできないんだ。だから僕達神父は名前に夢の字を入れているし、二文字のどっちが夢のことなのか、秘密にしているんだ。

――海外の土はイホンの土とは違うから、ウォームも少しだけ違う育ち方をする。赤ちゃんはその土地の景色の夢を見るし、海外の神父も、自分たちの土地に暮らしていた旧人類の名前に似せて、名前を考えるんだよ。
 土地に合わせた名前にしているのは、その土地の言葉で言いやすい音だからかもしれないし、自分たちの文化が好きだからかもしれないね。
 それに……僕達はきっと、滅んだ旧人類に深い縁があるんだよ。彼らのことを誰も覚えていなくても、心のどこかでは、忘れられずにいるんだろうね。だから、彼らの名前を継いでいる。

 語る蓮見先生の遠い目線を追いながら、幼い私は、辞典に学んだ『能登』の景色に思いを馳せていた。
 ベッドの中の微睡みに見続けてきた、見知らぬ土地の雪景色。それが私の『胎児の夢』なのか、十歳の頃に得た知識から生まれた空想なのか。成人に近づいている今の歳では、もう区別できなくなっている。

 私は聖堂に向かっていた。
 昏睡が八日目となった蓮見先生に代わり、見習いの神父として聖堂の点検を行うことには、幸いにも保健センターの許可が下りた。聖堂の鍵と見取り図を貸してくれたウォーム部の職員は、蓮見先生に似て真面目な神父になるだろうと言い、私を励ました。
 すれ違う職員達に挨拶をしながら、ウォーム棟の一階を行き、薄暗い階段から地下階に降りる。聖堂に入るためだけにある地下階には、誰もいない。冬の貴重な陽光はこの空間に少しも届かず、辺りは結露したようにひんやりとしている。
 聖堂の出入り口に辿り着く。靴箱から上履きを取り出し、下足を脱いで履き替える。足の裏が靴底に馴染まない気がして、爪先を床に打ち付ける。
 聖堂に立ち入る――この数ヶ月ですっかり慣れたことのはずなのに、自分の一挙一動に、痺れるような緊張が混じっていることを自覚する。
 船の戸のような白い扉に鍵を挿し、回す。聖堂の鍵を開けるのは、独りでこの場所に来た今日が初めてだった。