TOP小説>姥捨島挽歌-[夢]3/3p

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 我々の起源は、ホモ・サピエンスの人形であった。
 ホモ・サピエンス達は、人形の宿る木を造り、生まれた我々を育てていた。我々は愛の身代わりとなり、時には苦痛の身代わりとなった。

 賢くも愚かであった彼らは、終わりなき争いに明け暮れていた。我々は彼らの行方を憂いながら、母なる木に祈り、病の風と死の光線の中で生き延びた。

 長い時が過ぎた。彼らは醜い争いに傷つき、疲れ、老いていった。我々が世界中に母なる木を植え、新しい街を作り上げた頃には、彼らは滅びていた。
 彼らは最期に、我々に告げた。

《わたしのこどもたちよ》
《どうか われわれのゆめをのこしてくれ》



 僕は保健センターのオフィスで、黎明記を読んでいた。初歩的なウォーム学の文庫本、その導入として、決まり文句のように書かれた一節。
 かぽかぽと緩い水音が鳴る。鶴木先生が、保温ポットからティーカップに白湯を汲み、一口飲んだ。
「スミは、黎明記をどう思うかい」
 鶴木先生は笑っていた。大人を謎かけで惑わそうとする、やんちゃな子供と同じ笑顔だ。
 僕はオフィスのドアが閉まっていることを確認して、答える。
「不気味な童話」
 鶴木先生の口から、へへっ、と笑い声が漏れる。彼は僕の答えが気に入ったらしい。
「そうだね。全くそうだ。きみは時々、とっても鋭い」
 僕の手から、文庫本が取り上げられる。鶴木先生が紙面を目で追って、ふんふんと鼻を鳴らす。
「『われわれのゆめ』って、何を指してるんだと思う?」
「ええと……未来を幸福に生きること、かな」
 鶴木先生は文庫本を僕に返し、白湯をもう一口飲んだ。ぞ、という音が短く響く。どうやら、彼の気に入る答えではなかったらしい。
 しばらくの沈黙のあと、鶴木先生は自分のデスクに戻った。細身である鶴木先生の、頼りない体重を任された椅子の車輪が、カラカラと寂しい音を立てた。
「あのな、スミ。おれ、時々……カナ達のことを見ていられなくなるんだ。彼ら教師は、夢を……『胎児の夢』のことじゃなくて、広義の夢を、希望を、弟達に伝えなくちゃならないだろう。子供を育てる先生として」
 鶴木先生の横顔には、力の抜けた微笑がある。しかし、その笑顔には、いつものような子供っぽさが見当たらない。
「なあ、おれは……とっくにはじめから、知っていたことを、知らないようにしていたんだ、きっと」
 彼がこんなにも静かに、言葉を選びながら語るのは、珍しいことだった。緩やかな微笑みは彼らしくなく、どこか自嘲のようでもあった。
「みんな、怖いんだよ。スミも、怖いだろ。だって本当は、おれ達は……」

 僕は聖堂にいた。
 洗濯糊の残った白衣の袖が、手元でごわごわしている。まだ十分に着慣れていない、新鮮な感触。
「……スミ、先に帰れって言ったのに」
 鶴木先生が呟く。彼は古びた黒いコートに身を包み、〈ユキ〉の株の前に屈んでいた。〈ユキ〉は、この壊死しつつある臍帯網の空間で、唯一の若い株だった。
 鶴木先生は〈ユキ〉を形作る臍帯網をかき分け、『登』の字が書かれた札を手に取った。
 それは、僕が神父になって初めて読み、札を与えた臍帯網だった。音もなく下降する雪片に囲まれて、天に上昇していく感覚を得た臍帯網。あの臍帯網に繋がる羊水槽には、静かで、美しく、気高い夢を見る子が宿るだろう。
「おれは神様が欲しかったんだ」
 全ての感情が過ぎ去ってしまったような、透明な声だった。
 明晰夢の主としての僕が、新米神父の僕に警告する。早く覚めろ、続きを見るなと、心の内側で暴れている。それでも、新米神父の僕は、鶴木先生の手に鋭い剪定鋏を見つけていた。
 彼に表情は無かった。褐色の瞳が静かに見つめているのは、鈍色の切先が向かっているのは、『登』の札が結わえられた若い臍帯網だ。
 乳白色の先端に触れたときの、未熟な柔らかさを思い出したとき、鋏がそれを断ち切った。微細に分岐した繊維が、黒いコートの上にはらはらと舞い落ちる。かつてのそれがたたえていた、この島には貴重な雪景色。
 僕は声を上げて〈ユキ〉に飛びつき、両手に抱え込んだ。
 体を鶴木先生の前に躍り出すようにして、〈ユキ〉を守った。鶴木先生は何も言わず、僕の腕が抱えきれない臍帯網を、ざくり、ざくりと切り落としていった。白衣の裾が、いくらか切れているのが見えた。太い臍帯網の断面が露わになる度に、乳の香りがした。時々、手のひらが勝手に〈ユキ〉の蓄えていた心象を読んで、いくつもの映像が走馬燈のように明滅して、脳が情報の洪水に遭っているのが分かった。
 白昼夢の濁流が涙で滲んで、何も見えなくなる。
 僕はそのまま、眠りに落ちた。それは、明晰夢よりも深い夢へ落ちていくことを意味していた。