TOP小説>姥捨島挽歌-[夢]2/3p

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 僕は、歴史の授業が好きだ。
 加辺先生が教える歴史の授業は、分かりやすくて面白いから、いつも教室が盛り上がっている。僕は、歴史の勉強が特別に得意なわけではなかったけれど、賑やかな教室で加辺先生の話を聞いて過ごすのを、いつも楽しみにしている。
「はい! みんな、これは何だろう?」
 加辺先生が、ラミネートしたプリントを黒板に貼りつける。
 カラーで印刷されたそれは、大昔の絵のようだった。二人の人間が大きな木の下に立ち、少し驚いたような横顔を見せて、向かい合っている。右側に描かれた人物はリンゴを片手に持ち、左側に描かれた人物に差し出している。その様子を、木の上から一匹の蛇が睨んでいる。
 その絵に描かれた二人の人物を見て、僕は驚いた。彼らは裸で、おかしな体をしていたのだ。
「人間、なの?」
「なんか変なの!」
「裸んぼだー」
 教室中に、同胞達のざわめきが広がる。くすくすと笑っている者もいる。驚いているのは、僕だけではなかった。
 絵の中の二人は、胸元に二つのいぼのようなものがついていた。臍と相まって、胴体が大きな顔のようにも見える。臍の下には毛のようなものがついているが、植物の影に隠されるように描かれていて、よく見えない。
「じゃあみんな、この二人を比べてみて」
 加辺先生が、よく通る声で僕達に呼びかける。絵に描かれた二人を見比べると、体型が大きく違っていた。
 左側に描かれた人物は、背が高く筋肉もついていて、島の漁師や大工の大人達、テレビで見るスポーツ選手のようだ。不思議なのは髪型で、彼は短髪だったが、もみあげの髪だけが長く伸ばされ、それが口元にまで及んでいる。
 右側に描かれた人物は、背が小さめで、少しぽっちゃりしていた。特に、左右の胸が特別に大きく膨らんでいて、病気か何かで腫れているようにも見える。彼は左側の人物と違って、とても髪が長かったが、口元に髪を持ってくるようなことはしていない。
「右は背が低くて、左は背が高い?」
「右は太っちょ、左はマッチョ!」
「あはは、でこぼこコンビだ!」
 教室が笑いに包まれる。加辺先生が困り顔で、ぱんぱんと手を叩いた。
「はーい、はーい。みんな、大正解! この人達は人間で、裸んぼで、でこぼこコンビというわけだな」
 加辺先生が、教卓から新しいプリントを取り出す。
「彼らは、我々とは違う人間なんだ」
 黒板に貼り出されたのは、直立した二人の人間の図だった。古い絵に描かれた二人と同じで、右側には背の低くふくよかな人間が、左側には背の高く筋肉質の人間が、それぞれ裸で示されている。絵と違い、股間が露わになっているが、やはり毛のようなものがついていた。筋肉質な人間の股が変わった形で、内股に大きなこぶのようなものが垂れているのも分かった。よく見ると、尿の出る部分が腫れているようだった。
「彼らは大昔の人間で、ホモ・サピエンスという名前の生き物だ。古代人、旧人類ってやつだな。聞いたことある人?」
 加辺先生が片手を挙げてみせる。教室の半分、十人ほどが手を挙げた。
 僕も挙手をして、それに加わる。古代人というのは、聞いたことがあった。教会と呼ばれるマキサ島の遺跡は、古代人が勉強や集会のために使っていたものだ。社会科で町役場の見学に行った時、職員のおじさん達から聞いたことがあった。
「ほいほーい、おれも聞いたことあるー!」
 突然、素頓狂な声が教室に響いた。
 声の主は、廊下の窓から教室へと身を乗り出す、鶴木先生だった。
 神父である鶴木先生は、ウォーム学の教師だ。しかし、変わり者の彼は、他の科目の授業にしばしば顔を出し、他の教師から迷惑がられている。特に、加辺先生は鶴木先生と同い年の兄弟――同胞であるため、気まぐれで顔を出されることが多かった。
 唐突な鶴木先生の登場によって、教室は再び笑いに包まれていた。加辺先生が呆れて肩を落とし、廊下から遠い席の同胞は、意地悪そうに笑ってひそひそと耳打ちしている。僕はこの混沌とした空間の端で、行き場のない苛立ちを覚えた。
 鶴木先生は、その中の誰に構うでもなく、軽快な歩みで教室に入ってくる。爪先の尖った上等な革靴が、こんこんと弾んだ音を立てる。
 僕は不運にも、出入り口に最も近い、後ろの端の席に座っていた。
「よう、スミ。ちょいと失礼」
 黒いコートをばさりと翻し、クレヨンを全色転がしたような色のハンチング帽を脱いで、鶴木先生が僕の隣に腰掛ける。変わり者と呼ばれている彼は、アニメのキャラクターのように、一年中決まった格好をしているのだった。
「おい、鶴木。暇だからって、人の授業に割り込むなよな」
 加辺先生が溜息混じりに呟く。鶴木先生は、気の抜けた笑い声で返事をした。
 教室のざわめきが収まり、加辺先生が黒板に向き直った時、鶴木先生が僕に耳打ちした。
「カナは遊びに来ても怒んないんだよ」
 カナ、というのは、加辺先生のことらしい。鶴木先生は、マキサに住む同郷達に、やたらとあだ名をつけたがる。スミと呼ばれる僕も、その例外ではなかった。
 僕は、鶴木先生に色々なことを抗議しようとして、すぐに面倒になった。彼に誰が何を言っても上手く言いくるめられて、終いには、園庭を駆ける保育院生のような笑顔で、何もかも解決させられてしまうのだ。

「スミは、我々の名前を知っているかい」

 声を潜めるでもなく、鶴木先生が僕に尋ねた。耳にいつまでも残る、弾んだ口調。授業の邪魔になる、と思った時には、僕達は町外れの遺跡――教会にいた。
 蔦の這った白い石の柱と、それに続く丸い天井が頭上を覆う。幾何学模様のステンドグラスが、曇り空から零れる光を赤と青に彩る。
 これは夢なのだということが、今、再び思い知らされていた。僕はもう、歴史の授業を受ける初級生ではなかった。
「旧人類がホモ・サピエンスなら、我々は何だい」
 鶴木先生は僕に背中を向けて、ステンドグラスを見上げていた。いかった肩を包む黒いコートは、彼をカラスの姿にも似せている。
「ホモ・プランタでしょう」
 僕は答える。鶴木先生は振り返らず、質問を続ける。
「ホモ・プランタと呼ばれる前は、何だった」
ラボンLab-born。人造生命。創造主である旧人類が、ラボで戯れに作り出した、一介の樹木――あなたに教わったことだ、先生」
「きみは、彼らを神だと思うかい」
 僕は声を詰まらせた。鶴木先生は質問をやめない。
「おれ達は、何に生かされていると思う?」
 答えられない。
 この教会を使っていた太古の人々は、古くから伝えられた創造主の存在を、神と呼んでいた。けれども、我々は旧人類のことを神とは呼ばない。

 ウォームが、僕達を産む母であるように。ホモ・サピエンスは、我々を生んだ父だ。
 我々にそれは居なかった。今日まで生きてしまった僕達は、ただ、おのれに、どうしようもなく生かされている。

「スミ。我々の役目は、ウォームを守ることだ。聖堂で臍帯網を読み、胎児の見る夢を育て、ウォームに精を宿すことが我々の使命だ」
 背中を見せたままで、鶴木先生が呟く。ハンチング帽の頭は、既にステンドグラスを見上げるのをやめている。
「だけどもう、おれは我々ではないらしい」
 鶴木先生が振り返った。彼は僕に、にこにこと笑ってみせた。それが彼に残された、ほんの僅かな正気であることを察して、僕はこの夢の行方を悟った。